P08~09 つれづれ時事寸評30 分断社会と「逆差別」? 本研究所研究員 森口 千弘 (憲法・教育法) 1.締切に間に合わなかった理由  本稿の締切は2023年6月30日に設定されていた。この締切と重なるように、アメリカ連邦最高裁はバイデン政権やリベラル派が推進する社会福祉政策の促進に歯止めをかけるような3つの判決を下している。たとえば6月30日には、ウェブデザイナーが同性愛者へのサービス提供を拒否できるか否かが争われた事例で、連邦最高裁は表現の自由を理由にサービス提供拒否を容認した。今一つは、バイデン政権による学生ローンの一部返還免除決定をめぐり、(共和党が上院で多数を占める)連邦議会の明示的な承認のない決定は無効であると判断した。反差別法や学生ローンの免除といった社会福祉的政策に対して連邦最高裁が法的にストップをかける構図である。  中でも、大学における人種優遇措置(アファーマティブ・アクション)が否定された判決は日本でも大きく報道された。本稿では当初の予定を大幅に変更して、これについての雑感を述べてみたい。 2.アファーマティブ・アクションとは何か?  アファーマティブ・アクションないしポジティブ・アクション(積極的差別是正措置)とは、就職や就学などで黒人や女性、マイノリティーへの採用・合格枠を設けるなどの特例的な措置をとることを指す。  平等原則からすれば、本来、いかなる場合であっても人種や性別などに基づく不利益な取り扱いはなされるべきではない。たとえば就職試験で「女性枠」を設けることは、本来なら入学できるはずだった男性(あるいは女性以外の性別)の受験者が落ちることを意味する。これは性別に基づく区別であり、入社の機会を奪われた者にとっては不平等を強いられることとなりうる。  一方で、現代社会は様々な不均衡を内包している。会社の経営陣のほとんどが男性であるならば、その会社には「男性的」な働き方、社風、出世コースへの乗り方などが自覚的・無自覚的を問わず蔓延しているかもしれない。このような歪みを内包する企業の中で、女性はお茶を汲み、セクハラをうまく受け流すなど「女性的」になるか、「男性的」な社会に染まるため「男勝りなキャリアウーマン」になるかのいずれかを強いられることとなりうる。このように歪んだ社会で表面上の「平等」を貫けば、女性にとって一方的な不利益が生じかねない。そこで、多様性を確保するために意図的に女性の数を増やすことで、男性も女性もそれ以外の性別も対等な個人として取り扱われる「平等」が初めて実現できるという考え方がありうる。  憲法学の世界では、属性や社会的におかれた状況など現実の差異にかかわらず諸個人を一律に等しく取り扱うことを形式的平等と呼ぶ。これに対して、現実の差異を勘案し、属性や経済的格差を埋める取り扱いをすることを実質的平等という。アファーマティブ・アクションは実質的平等を実現するための措置と位置付けられ、形式的平等の考え方とは対立する。一般にはいずれの平等の考え方も必要なものであり、原則的には形式的平等の考え方を採用しつつも、必要に応じて実質的平等を実現する措置――たとえばアファーマティブ・アクション――を取り入れることで社会の公正さを確保すべきとするのが穏当な着地点であろう。(たとえば男女雇用機会均等法は女性差別にかかわらず「性別を理由とする差別の禁止」を謳っている点で形式的平等の考え方を採用する一方、「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保の支障となつている事情を改善することを目的として女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない」として女性労働者に対するアファーマティブ・アクションを一定の範囲で容認している。) 3.アメリカの分断とアファーマティブ・アクション  このように平等と社会の公正を実現するためのひとつの方策であるアファーマティブ・アクションであるが、これが「逆差別」であるという言説は多い。このような傾向は、日本にのみ顕著であるわけではない。長年にわたりアファーマティブ・アクションが定着してきたアメリカでも、共和党とその支持者を中心にアファーマティブ・アクションが「逆差別」であり許容できないとする言説が大きな影響力を保ってきた。そして、2023年6月29日に、合衆国連邦最高裁はハーバード大学とノースカロライナ大学で行われているアファーマティブ・アクションが平等原則に違反し憲法違反であるとする判決を下した。(Students for Fair Admissions, Inc. v. President and Fellows of Harvard College, 600 U.S. ___(2023))。「分断」が進む現在のアメリカを象徴するような判決である。  この判決がリベラル派にとっては悪い意味で「歴史的な判決」とみなされるのは、従来の連邦最高裁が採用してきたアファーマティブ・アクションについての先例を根本的に覆す内容であるためである。アファーマティブ・アクションが「逆差別」にあたるのではないかという議論は1960年代にはじめてこの措置が取り入れられてきて以降、反対派から常に語られてきたところである。これに対して司法は、過去の差別の是正の必要がある場合に加え、学内の多様性を確保するために必要な場合において、入試選考の際に考慮要素の一つとして人種を含めることは憲法に違反しないとするアプローチをとってきた。現在のアメリカではこのアプローチに基づいて、多くの大学でアファーマティブ・アクションが導入されている。  ところが29日の判決では、多様性確保を理由とするシステマティックなアファーマティブ・アクションが事実上否定された。すなわち、入試選考にさいして受験生は「人種ではなく個人の経験に基づいて」審査されるべきであるとされ、学内の多様性の維持を目的として特定の人種を優遇することは平等原則に違反するとされたのである。保守派からの攻撃にさらされながらも長年アメリカ社会で受け入れられていたアファーマティブ・アクションであるが、この判決によって特定の人種への優遇措置をとることがほぼ不可能になると見込まれている。アファーマティブ・アクションは今や憲法に反する「差別」とみなされる。 4.分断化社会における社会福祉政策の行方  アファーマティブ・アクションに典型的に表れているように、平等や社会権保証を推進するような政策に連邦最高裁が歯止めをかける傾向は、トランプ政権によって保守派の判事が多数を占めたことが要因であると考えられている。アメリカの場合、日本以上に最高裁判所判事の政治的傾向性は顕著であり、共和党に選出された裁判官は保守的な政策を、民主党に選出された裁判官はリベラルな政策を支持する傾向が強い。この意味で、このような状況はトランプ時代の負の遺産と呼ぶべき政治状況の所産である。  しかしながら、もしアファーマティブ・アクションが過去の差別を是正し、現代における多様性の確保を通じて、将来にむけた社会的平等を実現するための措置として有効であるとすれば、上に見た判決によって生じるのは退歩である。そして、冒頭でみた諸判決もあわせて、このような傾向はアファーマティブ・アクションにとどまらず、社会福祉政策の促進に黄色信号をともすものとなりかねないだろう。 参考文献 森口千弘『内心の自由:アメリカの二元的保護枠組みの考察と分析から』(日本評論社、2023) 新井誠・友次晋介・横大道聡編『〈分断〉と憲法:法・政治・社会から考える』(弘文堂、2022) ティモシー・ジック著 田島泰彦監訳『異論排除に向かう社会 トランプ時代の負の遺産』(日本評論社、2020)